他人の目線を気にせずに自由に生きたいけど、何が起きるか怖くて、一歩を踏み出せないと悩んでいませんか?
こんにちは!「残業ゼロ」サラリーマンの滝川です。
昔の僕もあなたと同じように他人の目線をずっと気にして生きてきました。今でこそ残業ゼロを貫いている僕ですが、昔は他人から批判されるのが怖くて、早く帰ることができなかったんです。
残業しないことが当たり前ではない職場で一人、「残業ゼロ」を貫くのは容易ではありませんでした。その一線を越えることは、他人の期待に応えることを止めることでもありました。
そしてそれは、たとえ同僚から「ヤバいヤツ」と思われてでも、自分の人生を生きることを決めた瞬間でした。
僕がどんな経緯で「残業ゼロ」、すなわちヤバい人への道を歩み始めたのか。そしてヤバい人になると、どんな世界が待ってるのか。
今日はヤバい人になってよかったこと。そしてヤバい人になってから感じるようになった「寂しい」という気持ちについても書いています。
他人の目線が気になり、自分を貫けない。自分を貫くととんでもないことになってしまうと不安なあなたには、僕の経験はきっと役に立つのではないか。そう思って書きましたので、よかったら読んでみてくださいね。
さぁ、それでは早速まいりましょう。ちょっと長いですが、お付き合いくださいね。
自由に生きることは、他人から「変な人」と思われること
もしあなたが自由に生きたいと願うなら、一つ覚悟を決めなければいけないことがあります。
それは、他人から「変な人」と思われる覚悟です。
この「変な人」とは、もちろん例えなのですが、要するにいわゆる「常識的な人」と見られることを諦めるということなんですね。
だって、自由に生きるということは、自分の思うままに生きるということですからね。それはまわりの空気を読まずに、他人の目線を気にせずに、自分がやりたいことをやるということです。
それを追求し続けたら、どうなるか。あなたも想像がつくのではないでしょうか。そう、他人から「アイツは変わっている」、「空気が読めない」と言われたり、批判されたりしますよね。
だからこそ、そんなことにならないように、あなたは今まで一生懸命空気を読もうとしたり、他人の目線を気にして生きてきたと思うんです。
もちろん、僕も今までそうやって生きてきたわけです。
他人の目線が気になるのは、幼少期からそうやって育てられてきたから
他人の目線を気にして生きてしまうことは、仕方ないところはあります。
日本はそれを美徳としてるし、もはや日本の文化とも言えるかもしれないですよね。日本の教育もそういう人物を作り上げようとしているところもあるように思います。
人間の価値観は幼少期に決まると言われていますが、多くの人が小さい頃から「人に迷惑をかけてはいけない」、「自己中心的だとまわりから嫌われるよ」というようなことを両親から言われて育ってきたのではないかと思うのです。
そう、いわゆる「常識的な人」になるための教育を僕達は小さい頃から受け続けてきたわけです。そうして、今の僕達がいる。
だからこそ、あなたがついまわりの空気を読んでしまったり、他人の目線が気になって好きなことができないのは、ある意味仕方のないことなんですね。
なぜなら、僕達はそう育てられてきたからです。
常識的に生きるメリットももちろんある
そして常識的に生きることのメリットを、あなたもわかってるはずです。それは他人から批判されたり、嫌われたりするリスクが減るということですよね。
少なくとも、他人から批判されたり、嫌われた時に自分が負うダメージは最小限になるはず。そう思うから、あなたは一生懸命他人の目線を気にして生きてきたはずです。そうではないですか?
そして今あなたは自由に生きたいと願っている。他人の目線を気にして生きることをとても息苦しく感じている。だからこそ、この記事を読んでるのではないかと思うのです。
もしそうなら、あなたには選ぶ時がきているということなんです。
このまま息苦しい人生を生き続けるのか、自由に生きるかの岐路にいずれ立たされる
まともに生きて、このまま息苦しい生活を送り続けるのか。それとも「変な人」と思われてでも、自分の好きなように自由に生きるのか、の選択です。
今すぐ、自由な人になる必要はないんです。それはとてもできないでしょう。僕だって、少しずつ、今まで変化をしてきました。
あなたに決めて欲しいのは、「どちらの道を将来的に目指すのか」ということなんです。今すぐではなくても、近いうちに決めたいところですよね。
なかなか勇気が出せない、ですか。その気持ち、わかりますよ。いいんです。そのうち「もう、うんざりだ!」って思う時がきますから(笑)。
そうですねー。では、ここで僕が「変な人」に踏み出した経験を少しお話しましょう。
上司と対峙したことが、「変な人」への道に進むきっかけに
以前も記事に書きましたが、僕が「変な人」への道に進むことを決めたのは、働き方について上司と対峙したことがきっかけだったんですね。
ブログを書く時間や、家族との時間を大切にするために、労働時間を減らしたい。そう思って、上司に思い切ってその旨伝えたら、その時は理解を得られたんですね。
そのことは旧ブログでも書きました。その記事はこちらです。
それでそれからは「よっしゃ」と、少しずつ労働時間を減らしていったわけです。ここまではよかったんです。
しかしその後、ブログの記事が同僚に見つかったことがきっかけで、上司と対峙することになるんです。
推測するに、早く帰っていた僕に対しての不満が、ブログをきっかけに表出したと言うところだったのではないかと思います。
そこでまわりに合わせて残業するか。それとも自分の働き方を貫くかの選択を迫られたんですね。結局僕は自分の働き方を貫くことを決意しました。
その日から、僕は「残業ゼロ」の日々をスタートさせました。
一部の同僚以外は事情を知らない中、突然僕が一人、残業ゼロ運動(?)を始めたので、他の同僚は「一体この人どうしちゃったんだろう」と思ったと思いますよ。
この日から、僕は本格的に「変な人」への道を歩み始めたのです。
ちなみに上司との対峙についてもう少し詳しく書いたエントリーはこちらです。
「変な人」になって、気持ちがとても楽になった
その後、どんな変化が僕に起きたのか。ここがあなたが一番聞きたいところだと思います。
一番変化したのは、自分の気持ちの持ち方です。ものすごく、心というか、気持ちが楽になったんです。
今の僕は、基本的には人の期待に応えるより、自分の気持ちの方が大切です。このスタンスは、「残業ゼロ」を貫くことを決めた時に、決まりました。
つまり、その時から、僕は人の期待に応えるのをやめたんです。
もちろん人間ですから、ゼロではありませんよ(笑)。ただ、基本的には自分の気持ちを他人のそれより優先する。「人の期待に応えなくていいや」と、自分を許可したんですね。
そう自分を許可してみてはじめて、「人の期待に応えなければいけない」という気持ちを自分が今まで持ってきたことが、どれだけ自分の負担になっていたのか。はじめて実感できました。
人の期待に応えるか応えないか、自分の意思で選べるようになった
昔はある意味、人の期待に応えようとすることが初期設定みたいなものでした。自動反応みたいな感じで、人の期待に応えようとしている面がありました。
人の期待に応えない時は、罪悪感を感じたり、何かしら自分を正当化して、人の期待に応えなくていい言い訳を作り出していたように思います。
今の僕は、人の期待に応えるか、応えないか。自分で選ぶことができます。自動反応から、手動反応に変わったんですね。自分の行動を自分の意思で選んでる実感があるのです。
これこそが、僕の中では「自由」なんですね。
昔は無意識に、「人の期待に応えなきゃ」と行動してたのが、とても辛かった。そしてそんな自分を被害者のように扱っていたような気がします。
今はそんな気持ちを味わうことはほとんどなくなりました。本当に毎日、気持ちが楽になりました。
他人の期待もコントロールできるようになる
そして他人から変な期待もされなくなる(笑)。これも大きいですよ。
「変な人」になって、自分の価値観やスタンスをまわりにオープンにすると(これが大切なんですが)、まわりから「この人はこういう人なのね」という感じで扱われるようになります。
つまり、こちらの価値観やスタンスをオープンにすればするほど、ある意味、他人の期待をコントロールしているようなイメージになるんです。
そうすると、自分の価値観やスタンスに合わない期待を他人からされにくくなります。
わかりやすい例は、今の僕に「残業してほしい」という人は緊急時以外いないわけです。そして「なぜあいつは早く帰るんだ」という人もいません(少なくとも、面と向かっていわれることはありません)。
それは僕が残業ゼロを貫くとまわりの同僚に明示しているからに他ならないのです。
「変な人」になったら、この二つの面で生きるのがとっても楽になりましたね。僕はサラリーマンにいながらにして、自由を手に入れたのです。
一方、「寂しいなぁ」という気持ちは味わうようになる
一方、失ったものは何か。こちらも話をきちんとしておきましょう。
一番は、会社にいて「寂しいなぁ」と思う瞬間があることですかね。この「寂しいなぁ」という気持ちは、いわゆる孤独感とは、ちょっと違うんです。
一応言っておきますと、今の僕には孤独感はありません。一人でモーレツに働いていた時の方が、よっぽど一人という感覚がありました。「誰にもわかってもらえない」と、孤独でしたからね。
しかし、今の僕には孤独感はありません。その話は、前回の記事にも書きましたのでよかったら読んでみてくださいね。
その記事はこちらです。
この「寂しい」という気持ちは、価値観が合う人がまわりにいないという寂しさなんです。会社にいて、同じ価値観を持って働く人がまわりにいないというのは、どうしても寂しいものなんです。
同僚と仕事をしていても、仕事の進め方や考え方が今の僕はまわりの同僚とエラい違ってきてしまってるのです。
例えば僕から見たらものすごくムダなことを、同僚が一生懸命取り組んでいることなど珍しくありません。それはまさに価値観の違いですよね。
僕はムダだと思っているわけですが、同僚にとってはそれはムダではない。そしておそらくですが、きっと会社としてもそれはムダではないのでしょう。
例えばですが、こんな時に、寂しさを感じてしまうわけです。
同じ目線で仕事に取り組める仲間がいないなぁと思ってしまうのです。残念ながら、今の僕の会社には、僕と同じ目線で仕事をする人は今の所見当たらないのです。
もちろん、これは僕の内面の問題です。会社からすれば、僕が異分子なのでしょうから、合わせる必要があるのは僕なのだとも、思うのです。
同僚と距離感を勝手に感じるようになる
そしてもう一つ。これは自分が望んでる部分もあるとは思うのですが、やはりまわりの同僚と距離ができてしまいます。その根本は、先程書いた価値観の違いからくるものです。
わかりやすい例が、会社の飲み会に行った時です。まわりが楽しそうに話をしていても、自分もその輪に入って心から楽しもうと素直に思えない面が正直あります。
これもおそらく僕の問題なんですけどね(笑)。どこか自ら「この人達とは価値観が違うなぁ」と一歩引いて傍観者みたいな立場を取る自分がいるのです。
その一方、同じ価値観を持つ人同士でワイワイ騒いでいるのを見て、「寂しい」と思ってるのです。
こう書くと、大変身勝手ですね。まぁ、僕はそんな人間なんですよ(笑)。
その代わり、対人関係の悩みはほぼゼロになる
ただ勘違いして欲しくないのですが、この寂しさは同僚の反応によって引き起こっているわけではありませんよ。他人の目線や、他人がどう思っているのか。それによって悩むことは今の僕にはほとんどないのです。
あくまで、自分の内面の葛藤なんです。そういう意味で、今の僕は対人関係のストレスはありません。こうなれたこと自体には、本当に幸せに感じています。
今後はこの自分の中での葛藤が収まれば最高ですから、そうなることを望んでいます。少しずつなくなっていっている実感はあるので、これも時間の問題ではないかな、と思ってます。
いかがでしたでしょうか。
長くなったので、続きはまた明日以降書いていこうと思います。
僕の会社人生の軌跡は拙著に詳しく書いていますので、こちらもよかったら読んでみてくださいね。
それでは、また!
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投稿者プロフィール
- 東証一部上場の金融機関で「残業ゼロ」を2016年4月から実践しています。セミナー講師。シゴタノ!主宰のワークショップの非常勤講師も務めています。詳しくはこちら
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